周りを見回しても、他の人に席を譲る人は居ても、他の人の迷惑行為に対して注意を行なっている人は殆ど見かけません。 相手に感謝される行為は行なえても、相手から嫌われる行為は避けたいのが人情なのでしょう。 その為、目の前で“いじめ”があっても注意が出来ず、見て見ぬフリをする人達が育ち、自然と日常の中での面倒事からは目を逸らして生きるのが当たり前の様になっている人達が増えているのでしょう。
けれども、日常の中で、迷惑な事に対して注意をし続ける自分自身は幸せだと感じています。
というのも、毎日が練習であり未来への備えだからです。 人は誰でもが、目の前で起きた事に対して、とっさに適切な言動が取れる訳ではありません。大切な場面で、適切なタイミングで、より効果的な言葉や行動が行なわる訳ではないのです。 そして、その行為の有無が自身の未来に影響する事であれば、その場で適切な対応が行なえる事は大切な事です。
それを克服するには、日頃から身の廻りで発生している“迷惑な事”に対して、適切な対応を行なう“練習”が欠かせないのです。 いくら、見て見ぬフリをして避けて、その“うっぷん”をブログ(日記)などで晴らしても無駄な事です。
その上、人は誰もが歳をとるものです。
現状を改善する努力を行なわず、現状と向き合う能力を鍛えず、現状から予測される未来にさえ危惧を抱かず、歳をとって体力・気力が弱ってきてから、「 今の若い者は ・・ 」とか 「 今の時代は ・・・ 」と嘆くのは、間違っている以上に嘆かわしい行為にさえ感じられるのです。
自身の能力を鍛え、未来への対処を行なう行為が、他の人から奇異に映ろうとも、「背中から刺されるよ」と言われようと、日一日を生きている実感に包まれています。 勿論、嫌な想い出は沢山ありますが 、そういう道を歩むからこそ、素敵な人々(男女を問わず)と出会える機会があるのだと信じています。
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I warned the driver who stopped his car to block the crosswalk used by many people, but he pretended not to hear me and ignored him. Naturally, I felt a little sad.
However, I feel happy that I continue to pay attention to annoying things in my daily life. Because every day is practice and preparation for the future. Not everyone can take appropriate words and actions for what happened in front of them. It's not about making more effective words or actions at the right time when it's important. And, if the presence or absence of the act affects his future, it is important to be able to take appropriate measures on the spot.
< 解説文章と画像 :小林 裕之 >
< texts and images : Hiroyuki Kobayashi >
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