翌日、車の掃除をした。
多少の血は覚悟していたが、既に、リアのマット上には厚さ 2pほどの血溜まりが固まり、外して水洗いしたリアシートからは赤い水が流れ出続けた。
想像していた以上の出血であった事を、いくら洗っても流れ出てくる血が語っていた。
そんな様子を傍で観ていた母に、昨日あった事を一つひとつ説明していた時、急に母が吐き捨てるように言った言葉が今でも忘れられない。
「 同県人だろ、だなんて ・・・!! 」
母は、戦時中には鳥取の日本赤十字病院に看護婦として勤務していて、鳥取大震災や空襲も経験したから、怪我人や血には動じないが、何もしようとせずに非難めいた事を言うだけの人には苦く悔しい想いを沢山してきたのだろう。
しかし、当時の僕にはなぜ母がそう言ったのか、正しく理解は出来なかった。
後日、警察から表彰とリアシェルフボードの弁済代わりに表彰金を受け、即日、母に報告した時にも、母からは言葉は一切無かった。
まだ、よほど腹に据えかねる思いがあるのだろう。
決して無口ではないけど、何か大切な事を伝えたいという時になればなる程に、閉じ籠ったように口数が減ってしまう人だった。
遺伝子を引き継いだ僕は、その時の母の思いを長い間理解が出来なかった。
でも、僕も経験を重ね、今ならその気持ちが良く分かる。
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