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役 職 / Position   NPO法人理事長,   事務局長 / Representative of NPO GRA
氏 名 / Name   小林  裕之  ( B型, うお座 )/  Hiroyuki Kobayashi
別 名 / Pen Name   妖怪・小林( 妖怪大魔王 )/  Yokai / Youkaidaimaou



父親が自動車整備工場を経営していたので、幼児の頃から車や専門誌に囲まれて育ち、生来の車好きで、オートバイはどちらかと言えば嫌いでした。そのため、オートバイの免許を取得したのは、車を手放して移動手段が必要になってからで、26歳の時と遅かった。

最初はツーリングが主な用途だったが、ライディングテクニックを向上させる大切さを実感して、28歳の頃からライディングスクールに通い始め、やがてテクニックを磨くおもしろさに魅了され、関西地区で開催のスクールだけでなく、鈴鹿、浜松、福岡など全国各地で開催されていたスクールにも通い始めた。
<筆者注記>・・ 何事にも、やると決めたらトコトン熱中するのは当時も今も変わらないようだ ・・
そうしたスクール通いの際に“ジムカーナ競技”に出会い、強いインパクトを受けたのが30歳の時だったという。

それから、ジムカーナ大会への参加を始めるが、やがて関西地区で開催されていた2輪メーカー主催のジムカーナイベントが終了してしまった事にショックを受ける。そこで、自身の参加姿勢が“お客様”的だった事を反省し、自ら大切にしたい環境は自ら作って守る大切さを知り、それをきっかけに“GRA”を発足させたのは運命だったかも知れない。

His father was managing car maintenance factory, so he was grew up surrounded by cars and car specialized magazines, was a natural car enthusiast and didn't rather like a motorcycle.

So, he was 18 when he got a car license, but motorcycle license was eight years later than that. In the beginning, it was only for touring use, but he felt the importance of improving the riding technique and began to attend the riding school from the age of 28. Eventually he was attracted by fun to improve a riding skill and started to go to schools that were held all over Japan including Suzuka, Hamamatsu and Fukuoka, as well as schools in the neighborhood.

At that time, he was at 30 that he met the "moto Gymkhana" at such school and received a strong impact, and began to participate in the Gymkhana tounament.
However, eventually he get a big shock that the gymkhana event organized by motorcycle manufacturer Kawasaki has ended at 1990.
From this experience, he realizes that if he really loves it should not be dependent on anyone else but should organize himself, and he made a group : GRA where participants manages a gymkhana event together.





他を圧倒するタイムで優勝する日本を代表するトップライダーでありながら、レッスンや全国を転戦するシリーズ戦などを年間で40回以上開催するなど、その振興活動でも他に追随する者がいない貴重な存在です。

初めて参加したジムカーナイベントで優勝したのに始まり、参加した大会の多くで優勝をするなど、ジムカーナライダーとして優れた能力を発揮しました。特に、1990年代には日本国内で最高レベルの大会でも他を圧倒するタイムで総合優勝するなど、トップライダーにふさわしい戦歴を残し、その戦歴からも優れたライディングテクニックは実証済みと言える。

しかし、特筆すべきは、オートバイの社会的な認知度を高めるため、企画運営団体・GRAを立ち上げ、レッスンを始めとする数多くのイベントの企画開催を積極的に行なうなど、単に一人のライダーとしてではなく、オーガナイザーとしても優れた実績を残し続けている。
特に、1995年に発生した大地震で自宅が被災したのを機に、個人成績の追及を断念して振興活動への注力へ切り替えて、オートバイを自在に操る楽しさや、メカニズムに関する深い知識や独自のライディング理論を、沖縄から北海道までの全国各地でのイベント開催を通じて、数多くのライダーに積極的に広める活動を行なっています。

また同時に、全国各地で同様な趣旨で活動を行なう人や団体をサポートし、健全なオートバイライフ環境の提唱と創造する活動に精力的に取り組むなど、まさに “ 日本を代表する第一人者 ” だと言えるだろう。

He is the top rider in Japan who will win the overwhelming speed in the gymkhana competition, but he holds lesson events for riders for more than 40 times a year, such as valuable as there are no comparable people It exists.

He has won many of the participating gymka events. Especially in the 1990s, excellent riding techniques suitable for top riders have been proven, such as overall winning with the time to overwhelm others at the highest level convention in Japan.

However, his remarkable achievement has been active as an organizer, such as establishing GRA to raise social recognition of motorcycles, positively holding a lot of events including lessons, etc.
Especially, after the home and the living environment were damaged by the Great Hanshin-Awaji Earthquake occurred in January 1995, he abandoned pursuit of personal achievement and leave a brilliant achievement as an organizer to carry out promotion activities including holding events in Japan nationwide.





彼は、設立したGRAによって活動目標へ向かう活動を継続していますが、長年の活動経験を通じて、設立当初の目標から更に社会的に貢献する活動目標の達成を目指してNPO法人化するなど、その活動の理念は常に前進を続けています。

1991年1月に、先に述べたようなきっかけで日本で初めて「参加者主体の運営団体」・GRA を自らの意思で設立し、『ジムカーナ文化の創造』と 『ジムカーナを通じてオートバイの社会的認知度の向上』を目標に掲げ、数多くのイベントを開催する活動を始め、活動する地域を限定しない進め方と運営企画内容を広く公開していた事もあって、全国各地で数多くのジムカーナ経験者を育て、GRAの運営方法を模範とした運営団体が数多く誕生するきっかけを作り、一応の成果を残している。

イベントを企画する事においても特別な能力を発揮し、GRA発足直後から日本で最初のジムカーナレッスンを開催した他、日本各地を転戦するシリーズ戦の開催、そして生来のメカニズムに対する興味や知識の高さから、適切なセッティングの必要性の啓発やセッテイング技術を普及させるセッティング練習会の開催など、他に例が無いユニークな企画と並外れたイベント開催数を残してきた。

しかし、長年の経験を通じて、ライダーに一番必要な事はライディング技術でもセッティング能力でもなく、社会人ライダーとして意識や心の育成である事に気づき、日本初のNPO法人(特定非営利活動法人)へと発展をさせた上で、ライダーの『心』『技』『体』『バイク』の育成を通じて、いつまでも、楽しく、安全なオートバイライフ環境の育成にに積極的に取り組んでいる現在である。

He is engaged in activities towards the target by GRA, but after a long years of activity experience, his philosophy of action has continued to evolve greatly, including making it an NPO corporation aiming for social contribution activities.

Initially when GRA was founded in 1991, it set the goal of "creation of Gymkhana culture" and "improvement of social recognition of motorcycles through gymkhana".
In the 1990s, GRA made a number of gymkhana riders throughout the country, through an activity policy that does not limit the active areas.
In addition, according to the activity policy of disclosing the operation method, GRA have the result of creating an opportunity to organize event management organizations modeling GRA's operation method nationwide.





2018年8月、それまで勤務していた職場を退職したのを機に、ワークスペースの再構築を行ないました。
元の職場で使っていた自身のPCやプリンターなどの機材環境をそのまま移設しており、自作PCと4面のモニター、スキャナーを含む3台のプリンターなどを設置して、効率良く仕事が進められるようになっています。

GRAは、このワークスペースを中心に、全国各地の仲間と連携しながら、日本と世界に向けての活動を行なっていきますので、これからもご注目とご支援をお願いします。

In August 2018, he rebuilt the workplace for GRA as he retired from the company he had worked for before.

He has relocated his own equipment that he used at his former workplace and has set up his sefl made PC, 4 monitors, 3 printers including scanner, etc., so that work can be done efficiently .

GRA will focus on this workspace and will cooperate with colleagues throughout the country to conduct outgoing activities for Japan and the world, so we are looking forward to your interest and support to us forever.




中学・高校・大学時代
中学校に入ってから入部したのが 吹奏楽部で、担当教師に長身を見込まれて勧められ、楽器・トロンボーンを始めたきっかけとなった。(当時は長身者が担当する楽器)
それから、演奏をする楽しさに熱中して、親に自身用に楽器を購入してもらい、個人練習も積極的に行なっていたという。

高校に入学してもその熱は冷めず、吹奏楽部での演奏会活動からコンクールに始まり、フルバンドやジャズバンドを組んでの演奏、近隣の中学校の吹奏楽部へのサポート活動など、若者特有の熱気にうなされる様に過ごしたという。
なお、高校2年生の夏以降、部員最上級生となった時には指揮者に立候補して、独学で指揮の勉強をしながら、演奏活動やコンクールへと奮闘したという。

大学に入学した当初もその熱は冷めず、学内オーケストラに入団して、演奏会で交響曲を吹くようになったが、青春の迷いか探究心か、生来の車好きの虫が騒ぎ出し、オーケストラは2年で退団して、車とバイトの生活へとシフトチェンジ。
高校時代、一瞬、音楽大学への進学が頭の中をよぎった程のトラムボーンだったが、大学時代の車へのシフトが、その後にオートバイへと繋がるとは本人は知る筈もなかった。






School days, he was passionate about trombone. He entered the brass band immediately after he entered junior high school, and he was encouraged by the instructor to ask him a trombone because he was tall, and he gave enthusiasm to performances such as personal training.

His enthusiasm for the trombone did not cool after he entered high school, and he was enthusiasm for performing as a member of the brass band club, playing with a full band, sometimes playing with a jazz unit, and such as running for a conductor in the brass band and making up for one year.

The relationship between him and Trambone continued after he entered university, and he joined the orchestra and played a symphony. However, the performance activities ended in two years after admission, then the interest shifted to the car, the driving and part-time jobs continued every day, and several years later that heat connected him to the motorcycle.

自動車・熱中時代 (大学生時代)
物心がつく以前から自動車雑誌に囲まれて育ったためか、幼い頃から自動車が好きで、文字は読めないのに、自動車整備や工学の専門書を読みあかしてとの事。
そして、当然の様に、18歳の誕生日に合わせて運転免許を取得してからは、父親の車を時々持ち出しては、色々と走り回り、やがて親元を離れて下宿を始めた後、中古の自動車を父親にあてがわれてからは一層熱中したようです。
 
大学に通いながらも、毎日の様にカー用品店でのアルバイトに励み、ローンを組んで多くの高価なパーツを組み込み、空き時間があれば一人でドライブへと出かけていたとの事。面白いのは、当時から空気入れとエアゲージと工具は欠かさず一緒だったとの事です。










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