オーストラリア代表 にとっては、遠く離れた国で、同国人が労働搾取されている様子も無いのですが、例え非難を受けるとしても、代表だからこそ搾取されている人々の人権の為に声を挙げる意味があると判断したと思います。 そして、それは 1968年・メキシコオリンピック、男子 200m の表彰台で人種差別を抗議した 米国人 トミー・スミス(Tomie Smith)と ジョン・カーロス(John Carlos)の両氏に倣い、2位表彰台で 賛同の意志を示すバッジを胸につけた オーストラリア人、ピーター・ノーマン(Peter Norman)氏の勇気を讃える行為だとも思います。

ただ、当時のオーストラリアでは白人優先の “白豪主義思想” が色濃く残っていた為、帰国後はオリンピックメダリストとして称賛を受けなかったばかりか、メディアだけでなく同僚選手たちからも公然と批判を受ける事になり、選手生活は続けたものの、二度とオリンピック代表選手に選ばれる事もなく、2006年に亡くなったとの事です。 そして、彼の死から6年後、2012年に、オーストラリアオリンピック委員会がオリンピック代表選考において不当な扱いをしたと公式に謝罪し、彼の名誉回復が図られたのです。
オーストラリア人であればよく知られている事実で、人種が原因で不当に人権を侵害され搾取されている事に対しては、同じ代表アスリートの立場の一人として、自然に「行なうべき行動」として身に付いているのだと改めて思わされました。
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