このエントリーをはてなブックマークに追加







   ヤマハ FZ750   Yamaha FZ 750 


   ヤマハXJ400で交通事故に遭遇して、それをきっかけに“事故成金”的な経緯で、
   新車の ヤマハXJ400Z-Eが手元に来てからというもの、大きな事故に連続して遭遇し、
   知人が別の事故で亡くなってしまうなど、すっかり嫌気が差していた事を前回書きました

   そんな境地から次に進んだ方向はと言うと ・・・・。



『 オートバイやめる! か、やめないか? 』 Should I stop riding or not ?


事故続き、それも決して小さな事故ではないのが続いたので、本当にこの時は悩みました。
日頃は神も仏も信仰していない のに、この時ばかりは“お祓い”か“墓参り”に行くべきかまで考えていたほどに参っていました。

そんな悩みの時期を一か月ほど過ごし、辿り着いた二択の結論は ・・・

「 オートバイをやめる 」か
「 大型バイクにする 」かの二択でした。

何故? 大型バイク? って思った(ツッコんだ)人は正常な反応です。

「400tであれば限界近くで走る事は難しくはないけど、大型バイクであれば限界的な走行を
しなくなるに違いない。だから事故もしなくなるのでは?」と考えたのがその理由ですが、
今考えてみると少し変ですね(笑)

で、結局、二択の中で選んだのは、「大型バイクにする」でした。
時代は 1980年代半ば、オートバイブームが盛り上がり、それは750tクラスの車両にも飛び火した頃です。それまでのオーソドックスなツーリング志向の車両とは別に、レースに直結していく技術を盛り込んだ車両が各メーカーから相次いで発表された頃でした。

では、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ の中でどれを選んだのか?





『 エンジンは好き、カラーリングは最低 』 Great engine, worst coloring

1985年、ホンダからは 先進的な水冷 V型4気筒エンジンにアルミツインスパーのフレームで登場した VFR750(RC24)、スズキからは これも独自の空油冷 並列4気筒と圧倒的軽量とレーサーレプリカ構成が特徴の GSX-R 750(GR71F)、そして ヤマハからは 画期的な 5バルブ前傾45°水冷並列4気筒エンジンを積んだ FZ750(1FM)などが相次いで登場して、各車共に独自の個性を主張していた夢の様な時代でした。

いかにもレーサーなGSX-Rは早々に候補から外れ、VFR750 か FZ750 かで暫く悩みましたが、最後にはエンジンレイアウトと車体スタイリングが垢抜けている FZ750に決定したのでした。


ヤマハ FZ750、妖怪の 「昔乗っていた車両 No.5」1

 
しかし、全てを気に入ってた訳ではなく、車体のカラーリングは 3車の中で最低とさえ思っていたので、自走させずに納車された FZ750は、即日分解される運命だったのです。






『 納車日、即分解! 』  Delivery date was disassembly date
 
タンクからシートカウル、ホイールにフロントフォークなど、殆どの外装を外しての塗装作業の日々が続きました。

それと同時に、二灯式ヘッドライトに 120/90W・ハイワッテージH4バルブ(黄色)を入れ、リレーを新設してバッテリーから直接に電気を供給させ、しかも 二灯同時点灯方式からモード切替で一灯点灯を選択できる回路を新設タッチパネル式スイッチで構成するなど、走らせる前から初めての試み満載だったのです。
  

ヤマハ FZ750、妖怪の 「昔乗っていた車両 No.5」2

こうして、一度も走らせず出来上がった自分だけの FZ750は、お気に入りの一台になったのです。

運転免許は、購入計画の開始と同時に限定解除の試験を受け、マイFZ750完成までに入手済み。
でも、完成した姿が嬉しくてうれしくて、走らせる事なく毎晩近所で撮影(当然ですが、ネガフィルムカメラで)したのでした。

ヤマハ FZ750、妖怪の 「昔乗っていた車両 No.5」3






『 完成度高き革新車、時代の波に沈む 』 Swallowed by the flow of time
 

FZ750は、それまでの ヤマハ XJ400シリーズと較べるまでもなく、圧倒的に操縦安定性の高い車両でした。 六甲山の様な中速域での比較だけでなく、高速道路では格段の優れた安定性の高さを体験させてくれたのです。

当時のレース技術からのフィードバックにより、フロントは 16インチタイヤ、リアは18インチタイヤと、新しいタイヤ径の組合せが採用されていたにも関わらず、操縦安定性に一切の破綻は感じられなかった事に感心させられました。

1980年代は、オートバイブームが一気に高まった時期ですが、同時にタイヤの世界でも大きな変革が始まった時期です。 それが、フロントタイヤの16インチ化やラジアルタイヤの実用化でした。
最初は二輪ロードレース界で始まり、瞬く間に市販車の世界でも16インチのフロントタイヤ、そしてラジアルタイヤの採用と、まるで熱病のように増えていったのです。
その技術進歩の流れに合わせて開発されたFZ750は、フロント16インチの癖を感じさせない、安定性と操縦性がよく練り上げられた優れたオートバイだった事は間違いありません。
 
 

ヤマハ FZ750、妖怪の 「昔乗っていた車両 No.5」4
 

  
そんな時代の寵児として誕生したFZ750との“付き合い”は、夜の六甲山ツーリングを始めとして多くの想い出を残してくれたのですが、時代の波の勢いには太刀打ちできませんでした。

それは、1980年代末、ラジアルタイヤが市販車でも多く採用されるにつれて、タイヤの幅とホイール幅が一気に広がっていったのです。 ラジアルタイヤ以前の、バイアスタイヤに合わせて設計されたFZ750では、新しいタイヤ変革の波に乗る事が出来ず、次第に色褪せてしまったのです。

では! FZ750に続いて購入した車両は? ラジアルタイヤ仕様車?
いやいや、意外な選択があったのです。( 詳しくは、次回に♪ )

  

Because the accident continued with a motorcycle with a displacement of 400cc, I thought that there was no accident if the displacement was larger, and purchased yamaha FZ750. It was born in the mid-1980s, when technological advances in tires and engines had made rapid progress, and it was a vehicle with extremely high maneuvering stability and high-speed driving performance.
However, the trend of the times was faster than I had imagined, and the technological innovation of tires advanced at once, so the FZ750 lost its brilliance and I decided to select the next vehicle.
 
 
ヤマハ FZ750、妖怪の 「昔乗っていた車両 No.5」5

  ・・・ という事で、すっかりオートバイに乗るのが嫌になり、
      悩みながら色々と考えて決めた事は次の機会に書きましょう。






『昔 乗っていた車両』の一覧は
右バナーのクリックで表示します








クリエイティブ・コモンズ・ライセンス ページ中の画像は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
文章等は許可無く転載することを禁じます / Copyright GRA All Rights Reserved.