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( 1995年12月 発表資料 )


種の繁栄とグランプリ物語
( サブタイトル : 妖怪のつぶやき )・・ 1995年12月15日
 
物語のはじめに

みんなもよう知っとると思うが、この世界で生きているわしら“バイク属ジムカ−ナ種”は、とてもマイナ−な種なのじゃ。
最近になってやっとこさ各誌面で紹介されるようにはなったが、他の種に較べるとぜんぜん少ない。例えばわしらの種を全員集めたって、大〜きなマンション2〜3棟分に住んどる人間達の数と同じ位じゃから、一般の人間達からはまったく無視されてしまうくらいの数なのじゃ。
それでも仮にわしらが人間達の関心を集めてる野性動物じゃったら、まず間違いなくわしらは絶滅の可能性の高いほどに数の少ない動物として扱われ、国際的にも”絶滅警戒保護対象動物”として指定・保護される筈なのじゃが、残念ながらわしらの種は決して国連から保護政策は受けられる筈は全く無いのである。
だから、わしらは自分達の力で生活圏を確保して、種の保存と繁栄の為に力を出さなくてはならないのじゃ。
 

生存と繁栄

さて、この地球上で繰り広げられてきた生物の進化・絶滅の歴史を分析してみると、小さなグループ(群れ)に分散したままで生息する種よりも、小グループ同士でも交流(交配?)している種の方が、より繁殖率が高くて個体寿命も長くなる事ははっきりしているんじゃ。
もちろん交流の為のルール付け(レギュレーション等)は必要なのじゃが、それさえしっかりあればどんなグループでも簡単に交流の輪に入れてどんどん交流の輪が広がるのじゃ。
その上、この事はグループに属さず行動する単独行動する個体(一匹狼?)の場合でも同じで、とかく外敵や病気などで寿命が短く家系(?)は一代限りで途絶える単独行動の者でも、時々この交流の輪に加わるだけで寿命も伸び、家系も2代3代と続きやがては新しいグループを作ってしまうものなのじゃ。
つまり、広がりのある交流を積極的に進めていけば、わしらの種はさらに繁栄して子孫は強い種に生まれ変わっていくのじゃ。
 

外敵は人間?

ところがこうして繁栄していった場合、わしには心配な事があるのじゃ。
実は他の種を観察していて分かった事なのじゃが、個体数が少ない場合には人間から同情されやすくて場合によっては手厚く保護される野生動物でも、その個体数が逆にどんどんと増えたりするともう大変じゃ!。とりたてて人間達の存在は脅かしたりもしてないのに敵視される様になって、その種の一部の者がエサに困って人間の畑などに入り込んだりするともうダメ。それを理由にして、行動の自由を制限する垣根やフェンスをはりめぐらしたり、ひどい場合には人間の生活に害を加えるとして退治されてしまったりするのじゃ。
そうでなくてもわしらの“バイク属”はとかく人間達から迫害を受けやすく、“暴走種”とか“峠ローリング種”の例までいかなくても、『危険』で『アウトロー』的なイメージで見られているのじゃ。本当に困ったものである。
だからじゃ、本当に種の繁栄を願って頑張るならば、仲間が増えれば増える程に外敵ができやすいので、今から人間社会の法律や秩序も勉強して、わしらが理解されるように充分に努力を重ね、決して自分達だけの勝手な理屈や判断だけで行動せず、人間社会からも多くの味方がに生まれるような配慮とルール付けをしておく必要があるのじゃ。





 

保護区について

さあてここで保護区の事について話をしておこう。保護区とは、文字通り自分達で何もしなくても身の安全と食料が確保されて生活が保証されている区域の事なのじゃ。つまりこの区域の中で生活する限り、種の絶滅の危険からのがれられる訳で誠に都合が良い。そしてその良さを知ってしまうと、全員が保護区の中で暮らせばよいのに〜なんて思ったりする。
しかし、この保護区だけに頼るのは問題なのじゃ。先ず第1にその保護区の数がどうしても少ない。わしらに対して国や国連の積極的な保護政策は全く期待できないし、民間レベルでそのような活動をしてもらえる方も少ない。だから、今後ともに保護区が大幅に増える事は無いし、殆どのグループにとっては保護区をあてにはできないのじゃ。
 
第2に保護区内では充分に繁栄できないという事じゃ。
つまり保護区にはキャパシティ−というものがあって、ある数以上の個体は受け入れられない。
そして区域内が一杯になってしまったら、誰もが自分の生活する場所の確保を先ず考えて、自分達の種が繁栄する為の活動には消極的になりやすい。その上、どうしても区域外との交流が乏しくなり、種としての生命力や繁殖力は落ちて環境の変化に対する適応力も低下してしまうのじゃ。
 
第3は将来が不安という事じゃ。
つまり保護区は保護しようとする人間が作ってくれているものであって、中で生活している者達が設立している訳ではない。だから保護区がいつまで続くか保証されている訳ではないし、中に住んでいる者達が自分達の将来を考えながら運営している訳でもない。
そのうえ万が一保護区が無くなってしまうともう大変だ。中にいた者達には充分な生活能力や自治能力が備わっていない為、自分達で生活する場所を作れず大半の者達は死に絶えてしまうのじゃ。
実際そういうわしも以前はある保護区おって、そこでは大変にお世話になっておったのじゃ。
その上、「ワシがこの世界ではリ−ダ−みたいなものじゃ」とか「ワシはこの世界を支える力にもなってるのじゃ」とか漫然と考えてしまっておった。じゃが、ある日急に保護区を閉じると聞いても、わしは全く無力だったのじゃ。その保護区を永らえさせる事も、自活能力を充分に持っていなかった大半の仲間達を救ってやる事もできんかったのじゃ。わしは今でもこの時の事は強く悔やみ反省しておる。
こんな事でわしらのジムカーナを終わりにさせてはいけないし、皆もこの事は知っておいてほしいし忘れないでおいて欲しいのじゃ。
 

野に生きよう

だからわしはみんなに提案したい。「野に生きよう」と。
わしらの種・ジムカーナをこれからも残して、仲間をもっともっと増やす為に、他の誰かの力だけをあてにしないで、自分達の力でこの野に生きていこうと。
活動する場所は自分達で確保しなくてはいけないけど、行動を制限する垣根やフェンスは無い。
保護や安楽さは無いけど束縛の少ない自由な世界で仲間を増やそうじゃあないか。
たしかにそうやって自分達の力だけで活動していくと、色々と苦労やつらい事も多く外敵に出会う事も多いけど、一緒に力を合わせて智恵を出し合える仲間と一歩一歩生きていくんだ。
そうするからこそ生きていく楽しみが倍増するのではないかのう。
そうやって自分達の住む場所を確保して仲間を増やし、それから各地で活動している他の仲間達と交流をどんどん深め、新しい地域で新しい仲間を探し出し、保護区の中の仲間にも声を掛けよう。共に今生きている現状を充分に認識して、これから仲間を増やす方法と増えた時の問題点を考え、自分達のより大きな未来の為に行動していこうじゃないか。
そしてこの原野に生きてる仲間たちへの呼び掛けが「ジムカーナグランプリ」なのだ。
グランプリは来年も続く。みんな一緒にまた遊ぼう。




  
  

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