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YOKAI's murmur
 



 「いじめ」と「ウィルス」
  (穏便社会の弊害)

  The evils of the mild treatment


 
   自分自身が不利益を負う可能性がある場合は、それ対応する事が大切だ
   しかし、恐れるあまり、他の誰かに文句や悩みを言うだけでは解決しない
   可能な限り多くの情報を集めて、時には歴史上の出来事からも学び
   より冷静な判断と行動を行なう事が、とても大切になる


「いじめ」と「ウィルス」

穏便に済ませる事が全てにおいて悪い事だとは思わない。
が、事実を覆い隠す事に慣れきってしまうと、良い結果に繋がらない事は歴史も証明している。

最近の話題で言えば、「いじめ」や「ウィルス」の話題もそうだ。
どちらも、事実を突き止めようとすると、大騒ぎするなという社会全般から圧力を受ける。
具体的な症例や客観的な事実があったとしても、穏便の圧力が覆い隠そうとする。
諸外国と対処方法が大きく異なっていたとしても、殆ど参考にもしない。

けれど、一旦大きな話題になると、一転して大慌てで取り繕う始末だ。
「いじめ」では校長先生が、「ウィルス」では行政トップが急に記者会見するのだ。
しかし、取り繕いで彼らの評判は保てたとしても、本質は変わり難い事を誰も知っている。
社会全体が穏便に過ごし、問題視しようとしない体質は簡単には変わらない。

人権尊重なのか、いじめた本人は見逃され、ウィルス検査拒否は容認される社会だ。
社会と戦うつもりは無いが、自分自身や不遇な人を守る為には、穏便圧力とは一線を引く
勇気は必要だ。








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