1995年 1月17日、朝、神戸市東灘区まで辿り着き、
目を奪われた光景は、倒壊した高速道路ではなかった。
倒壊した民家の屋根の上で、その瓦を剥がしながら、
誰かに対して、大声を出している男性の姿だった。
管理職だった僕は、大阪の勤務先の被害を確認する為、
持ち出した本番用オートバイ、停められなかった。
きっと、地震で圧潰した1階の人の救助だったのだろう。
何故か、手伝えなかった事が、今も心に刺さっている。

もう一つ、笑い声と一緒に、心に刺さっている光景がある。
被害が殆ど無かった大阪で、小さな余震が来た時だ。
背広姿の二人の男性が「あ〜〜 びっくりしたぁ」と笑い、
連日のオートバイ通勤で汚れた姿の僕は、笑えない。
もちろん、彼らにとっては他人事、責められる訳はない。
家屋損壊せず、いつもの日常を過ごしていれば分からない。
けれど、新型コロナウイルスで「笑い声」はどうだろう。
被害を受けた人に配慮せず、更に苦しめてはいけない。
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